<新春特別号>画家 平松礼二画伯

  1. <新春特別号>画家 平松礼二画伯

<新春特別号>画家 平松礼二画伯

素敵発見!! ろ街ック湯河原

町立湯河原美術館「平松礼二アトリエ」内

きっかけは道端に


長門 そんな平松画伯はなぜ、画家を目指されたのですか?夢中になっていたことなどあるのですか?


平松画伯 小学校の頃、図工の教科書にあった汽車の絵に惹かれて絵の道へ進みたいと思ったのがはじまりです。それから中学生になって西洋画の先生に絵を大層褒められのも、画家への夢の導火線の一部でした。ですが一家が国家公務員で父親が法律関係の仕事に就いていたため、私もその道に進ませたかったのでしょう。強く反対されましたね。まあ抑えられるほど、熱意は増していくタイプでしたけれどね。()


長門 強い気持ちを常にもっていらっしゃったのですね。


平松画伯 ええ。一旦普通の高校へ通ったのですが、結局バイトでお金を貯め、両親には内緒で美術課程のある高校へ転校してしまいました。転校先の高校が愛知県の陶芸の町、瀬戸に近かったのですが、道端で見かけた瀬戸焼の呉須(ごす)破片の紺色がなんともいえない美しさでして・・・その色に魅了されて「日本画家」を目指しました。


長門 思いがけないところに出会いがあったのですね

町立湯河原美術館「平松礼二アトリエ」内


壁を乗り越える熱意


平松画伯 また、日本画は画材料が大変値が張るので。アルバイトだけではまかなえないため、美術大学とは別の道を考え、一般の大学へ進学することにしました。僕は中国への留学を希望していたので、上海出身の先生たちがつくった大学を見つけて進学しました。


長門 美大に通わなくとも、画を学ぶ術をご自身で見つけられたのですね。


平松画伯 その間にも作品を描き続け、入選・入賞していました。やがて、北京の故宮への留学の希望も叶いました。そうしぶとく、画家への道を諦めずにこつこつと進んできましたね。


長門 逆境に向かって進められたのは、画家になりたいという強い熱意があったからですね。

「プロ画家」として活動されたきっかけはどのようなものでしたか。


平松画伯 今はもう解散してしまいましたが、川端龍子や横山操ら画家たちがつくった「青龍社」という会社がありましてね。そこがプロとしての第一歩であり、鍛えられた場所です龍社」は従来の控えめで優雅な日本画から脱却し、会場芸術という概念で知られる大画面での大胆な日本画を確立することを目指して結成された団体でした。


何事にも全力投球


平松画伯 作家を目指す一方で、高校時代からスポーツにも熱中していました。


長門 そういえば画伯は良い体格をされているように感じますが、学生時代はどんなスポーツを?


平松画伯 柔道です。高校の美術課程で体育会系なのは僕くらいでしたね()その延長で高い山に登ったりもしていました。


長門 柔道をされていらっしゃったとは。ホームページなどでも見かけませんでしたので驚きました!長いこと続けられておられたのですか。


平松画伯 40歳近くまで続けていましたね。学生時代は熱中のあまり、オリンピック選手を送り出すような学校で部長をさせてもらっていました。二束のわらじを履いてスポーツと画、どちらにも全力で向き合っていました。現在も以前と変わらない量の作品を、変わらないペースで描き続けています。それも長年柔道で鍛えられてきたことも関係しているのかな。


思いがけない出会い


平松画伯 意図せず素晴らしい方と出会い、ものすごい発見をし・・・人生計画はしたものの、なかなか思うようにいかないけれど良いようにできてきたなと感じます。ですからまだまだこの先も終わりが見えませんね。まだ新しい出会いがあるのではないか、と思っています。


長門 ほほぉ〜〜!


町立湯河原美術館「平松礼二アトリエ」内


平松画伯 湯河原十景を描こう、と思って気づいたら二十景も描いてしまっていたように、創作過程で新たな発見を描きたいものが増えてしまった。つまりは計画から夢が膨らんでいき、実行することで新しい形になっていく。自己犠牲も伴いますけどね・・・()自分の創るものが社会を形成する一部になることの喜びは比喩し難いものです。永遠や普遍的なものを創作するための努力は惜しみません。


長門 画伯が描かれた画が、どういう形でこれからの湯河原に根付いていってほしいとお考えですか。


平松画伯 まず第一に「日本美を子供たちに知ってもらいたいです。そのためにこのようにアトリエをつくり、西洋画と日本画の違いや、日本画が世界で評価される美の理由を、子供たちに教えてきました。これからは若い世代が新しいものを創っていく時代。自身が小学五年生の時にひとつの絵と出会って画家を目指したように、きっかけをつくってあげられると嬉しいですね。


  平松画伯作「路 - 彩時期」於エクシブ湯河原離宮コンベンションホール


■□■<ろ街ック後記>□■□

 旧天野屋旅館から見える風景を描いた安井曾太郎、湯河原を終の住処とした竹内栖鳳。ある旅館の窓から湯河原の山並みを眺めてふと思い立ち、湯河原で作品を描き、残していこうと決心された平松画伯。どこか不思議な縁が平松画伯と湯河原町にあるように感じるお話でした。歴史のある町に住む人々を、穏やかで暖かいと仰る先生ですが、平松先生も楽しげにお話くださる、温かな方でした。湯河原十景の完成を楽しみにしています。ありがとうございました!

ろ街ック隊より

インタビュアー:長門 ライター:半田 カメラ:吉野


★平松礼二画伯によるアトリエ案内スケジュールはちら

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