【インタビューシリーズ】第3回 画家 平松礼二画伯

  1. 【インタビューシリーズ】第3回 画家 平松礼二画伯

【インタビューシリーズ】第3回 画家 平松礼二画伯


文藝春秋表紙絵の担当者として

町立湯河原美術館

長門 本日は画家の平松礼二画伯にお話をお伺いいたします。町立湯河原美術館にて月に4回、週末限定でアトリエを平松画伯がご案内くださる特別なイベントを開催していらっしゃるのですよね!

画伯がこの湯河原と結びつかれたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。


平松画伯 地縁等に湯河原との縁は全くないのですが、唯一の縁といえば文藝春秋ですね。かつて文藝春秋の表紙を担当し、旧天野屋旅館で生涯を遂げた2人の画家がいました。それが、日本画家の竹内栖鳳画伯と洋画家の安井曾太郎画伯です。

そして現在、このアトリエのある場所は旧天野屋旅館の敷地。ご縁があって、この地に公開アトリエを構えることとなりました。湯河原で生涯を遂げた文藝春秋の表紙を務めた2人の画家と同じように、私も湯河原で作品を描きながら過ごしたいと思ったのが、この地との繋がりですね。


長門 文藝春秋の表紙はどのくらい担当されていらっしゃったのでか。


平松画伯 約11年です。


長門 11年! 月刊冊子ですからね、11年担当される方はなかなかいらっしゃらないのですよね。


平松画伯 うですね。大抵10年までの方が多いです。竹内栖鳳画伯は戦前。そして安井曾太郎画伯は戦後の長期担当者だったのですよ。

町立湯河原美術館


歩いて感じる湯河原


長門 現在、平松画伯は湯河原十景の作品を手がけていらっしゃいますよね。その十景とはどう選ばれているのでしょうか。


平松画伯 湯河原の町を歩いていて画家として、私がここを描きたい、と感じたところに加え、古くから伝わる湯河原の名所を合わせた約20点の作品の中から十景を選出します。来年度に内覧会を企画していまして、お客様に投票していただき「湯河原十景」を発表しようと考えています。


長門 湯河原町は一通り回られたのでしょうか。


平松画伯 2年かけて町中を回りました。小さな町ですから何度もね()四季折々の町を絵を描きながら丁寧に見ていると、思いがけず良い出会いをすることがあるのですよ。四季によって訪ね歩けば別の表情を見せるので面白いです。特に、万葉公園へつながる渓谷の道。冬の凍てつくような水。3月から4月に見られる、目を奪われる程に美しい新芽。そして黄緑から深い緑へと移り変わる様子を見ながら清らかな川の流れの音を聴く。秋になれば紅葉が。じっくりと四季を見ていると小さな町ですけど大変、趣がありますね。僕は十何年も前に湯河原へ来ていますが、「湯河原十景」を描くために歩き回ってみて初めて発見することがたくさんありました

 湯河原の魅力は自分の足で歩いて、じっくりと見渡して感じてください。四季折々の魅力がそこらじゅうにありますよ。3月〜4月の万葉公園の渓谷なんかは新緑の芽がすばらしい。私のお気に入りです。

万葉公園

平松画伯 この作品は湯河原の町が見渡せる鍛冶屋にある丘です。丘一帯に咲く菜の花が見事で印象的でした。


町立湯河原美術館「平松礼二アトリエ」内

長門 画伯が描かれたその丘はパンフレット等で紹介されているわけではない場所ですからね。


平松画伯 そうなのです。そして湯河原は車では発見できないところにも見所があります。じっくり、ゆっくりと町を歩いていただけると、思いがけず素敵な出会いがあるはずです。私は十景描くはずが、夢中になって二十景も描いてしまったほど()

十景には大作もあります。湯河原離宮のフロントに飾っていただいているものと同じサイズの作品「梅林」も完成させました。


長門 残りの作品はいかがされるのですか?


平松画伯 町立湯河原美術館の収蔵品として保管しますよ。十景含め、作品は教育や町の広報などに使っていただけるように、湯河原町に残しております


平松画伯作「路 – 彩時期」

於エクシブ湯河原離宮オーナーズデスク


長門 画伯はフランスとの関係が強いように感じるのですが、何か出会いがあったのでしょうか。


平松画伯 もともとは中国で勉強をしたかったので、西洋の美術には正直関心がありませんでした。ですが、ある方の一言から西洋画という全くジャンルの違う世界へと足を踏み入れることとなりました。「平松先生の絵は西洋画家に響く画ですよ。」と。その言葉をいただくまでは、自身の画がまさか西洋画に繋がるものがあるとは思いもしませんでしたね。そしてタイミング良く、ご縁もあって、初めてパリにて展覧会を行うことに。それが50歳の頃です。


長門 「一言」が及ぼす影響の大きさに驚きます。


平松画伯 ええ。どこにきっかけがあるか分かりませんね。更に偶然ギャラリー近くのオランジュリー美術館を観に行った際に、クロード・モネの超大作睡蓮に出会いました。その画を見たときは衝撃でしたね。


長門 衝撃とはどういう・・・


平松画伯 西洋画は透視図法や陰を基準として描くのが一般的なのですが、なんと、モネの九十メートルにも及ぶ睡蓮は陰も光もなく、透視図も用いていないのです。通常であれば遠景・中景・近景とあるはずが、なんと近景のみで大壁画を描かれていたのです。まるで日本の屏風ではないか!と。モネの画に衝撃を受けて西洋画も勉強をしようと燃えましたね。西洋画家が日本画法を取り入れようとした心情を知りたくて、各画家が描いた場所、住まいを訪ね歩き同じ体験をする為にもう何度もヨーロッパ行きましたよ。

 の作画が確立されたのは、全てが偶然の出会いでした


 平松画伯作「ジヴェルニー モネの池・風音」於エクシブ湯河原離宮フロント



後半へ続く

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